暗闇の中で、スポットライトがぽつっとあたる、人が浮かび上がる。
何かしゃべっている
そのライトは消えたと思ったらまた別のところにライトが照らされる。
別の人がまた何かしゃべっている。
それがぽつ、ぽつ、と繰り返される。
何をしゃべっているかわからない。
そのドラマを認識しようとするうちにもう物語に引き込まれて、その物語に自分がたってさっきのスポットを浴びている。
いつぞやのラトル、ベルリンフィルがアンコールで演奏した『マノンレスコー』間奏曲。
たぶんあのときに観客席にいた皆が空間や時間から解き放たれ、何が起こっているかわからないような感覚に襲われたはずだ。
そこで何が行われているか認識しようとしているうちに音楽の大きなうねりに飲み込まれて、そのうちにそのうねりは心臓の奥の奥を鷲掴みして、ブンブン振り回される、視界まで奪われたような音の閃光や塊との衝突。
突如、天国から降り注いでくるような最終盤の救いの音楽に、そのすべてが昇華される。
何かが肯定されたような気がした。
音楽の共感力に包まれながら、そこでその音楽を共有できたこと、魂が高次で震え合えたこと、これ以上に何が必要か、誰にも妨げることはできない。誰にも止められない。言葉なんかいらない。
このときを思い出せば目に見えない空間で通じ合える
そうでしょ?
言葉を超えた音楽の力だ
2017年が終わっていく。
1年通して凄まじく色々なことがあった年だった。
すべては自分から出たもので、様々なひとに助けられた。
まずゴー宣のみなさんの顔が浮かぶ。本当に感謝しています。ありがとうございました。
真空状態には生きていない。一人では生きていけない、実感した一年だった。
と同時に、自分にしか生きられない人生を生きようとも思った。
本当に大事なものもよくわかった一年だった。
一つだけ自分から出たものではないことがあった。
11月に親友が事故死した。
昔から悪いやつだったが頭はよくて、すぐにキレてしまうその狂暴性の裏で、胸が痛くなるくらい、苦しくなるくらい優しいやつだった。
小学校の野球チームから地元での朝までの酒の席までいつも一緒だった。
中学校のときはなぜか席替えのたびに殴り合いの喧嘩をして顔が変わっていた。なんで殴り合いになっていたのかよくわからない。覚えてもない。
プロボクサーだった彼の試合はデビューからすべて見に行った。すべて。
野球チームも、一緒に作った。もちろんあいつがエース。キャプテンは私。
まったく違う人生を生きていたのに、絶対にお互いを見ていたし、リスペクトしていた。
乱暴者どうしアイコンタクトで通じ合えた。
今でもよく葬式の夢を見る。夢の最後に棺をのぞき込む
顔がどうしても見えない。そこで終わる
目をつぶれば、悪ふざけをしておどけて口に拳をあてながら体をかがめて前後に揺れながらいつものように大笑いするあいつの姿しか思い浮かばない。
バカヤローーーーー!!!!!!!らしくない死に方してんじゃねえよ!!!!!!!!!!!!
全然乗り越えられてねえよ
彼の分も生きねば。
2017年は続く、そう、2018年に